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「フルートを吹く人のために」
 これは米国のE.C.Moore先生が書いた本の題名である。この本は1962年に書かれていて、1973年には日本語訳がパイパースグループから出版されている。何でそんな古い本を今更と思われるかもしれない。
 実は今から30年以上前になるが、かつて私がフルートを学んでいたときにこの本を買ったらしいのだが、全く記憶にないのだ。それを最近フルートの練習を再開しようと思って本棚から偶然発見し、読んでみてその内容と表現に言葉を失ってしまった。素晴らしくよく書けているのだ。

 どこが素晴らしいかというと、フルートを吹く人が必ず抱くと思える疑問に対して納得がいく答えが見つかるのである。私はフルートは演奏法も楽器自体も標準というものがないような気がしている。楽器の世界は全て同様かもしれないが、フルートの場合は発音体である管と唇が直接触れ合うことはないから自由度が非常に大きいのだと思う。従ってある意味で皆自己流なのだ。
 
ところがMoore先生は自分の疑問を同時代の多くの名手にぶつけて標準的な答えを追い求めその成果をこの本にまとめている。多くの演奏家のオピニオンを参考にしている。そうすることで本人の独断や偏見を排除している。ときに自分の奏法さえ改めている。その結果この極めて感覚的なテーマにもかかわらず、正確な表現とあいまって非常に客観的な印象を受ける内容になっているのである。その意味で先生の意図は完全に成功している。
 この本は現在も入手できるのだろうか。私はフルートを吹く人に是非お勧めしたいと思う。
目からうろこが落ちること請け合いである。とにかく私にとって良い本なのである。(2008.7.12)
「悲しい知らせ-35歳年上の友の死」
 Aさんとは15年前に北軽井沢で知り合った。Aさんの別荘は私たちの別荘とは道を挟んだ向こう側にあった。つまり「お隣りさん」であった。そのAさんは当時既に喜寿になっていた。親しくなったきっかけは、Aさんと私の3人の子供たちとの散歩であった。散歩の目的はホテルで新聞を買うことであった。子供たちはAさんとの会話を楽しみに毎朝この散歩に進んでお供をした。Aさんも天真爛漫な子供たちとの時間を楽しんだ。「お腹が痛い」「川に落ちた」といってからかわれた、と言っては喜んでいた。子供たちにとって実のおじいちゃんのようで、子供たちは心からAさんを労わった。
 Aさんは若いときは大変なスポーツマンで、第二次世界大戦ではビルマで捕虜生活を体験した。戦後は大手の電気会社の関連会社の社長さんであった。Aさんは60退職後に長唄を学び三味線のための楽譜を独自に開発したりした。北軽井沢へは喜寿を過ぎても壮健で自分で車を運転してきた。Aさんはしみじみ年輪を感じさせる人だった。子供たちはAさんから杖つくりや川の安全など色々な生活の知恵を学ぶことができた。
 Aさんと過ごした時間は子供たちにとってまさに珠玉のひとときであった。皆でマスを屋外で焼いて食べたときのAさんのうれしそうな顔が忘れられない。山桜の薪を使ったので燻製の香りがしたよね。大切なAさんが次第に衰えて終に亡くなって、子供たちは人の命が限りあることを実感したと思う。家族皆でAさんのご冥福を祈ろう。

(2008.5.28)
「電極反応速度の上限について」
 想像してみて欲しい。電池には電極の上で反応する物質が入っている。そしてその物質が電極との間で電子のやり取りを行う。例えば水素があれば電極に電子を渡して水素イオンになる。では電極と水素の間の電子移動の速さはどのくらいか。しかも色々の電極反応があるだろうが、その上限はどのくらいか。「そんなことはどうでもよい」と思う人と、限界に関わることなので「面白そうだ」と興味を示す人がいる。当然だと思う。しかし関心を持っていただけるとやはりうれしい。
 答えを先に言ってしまうと筆者が知る限り「未だ分からない」のである。今から50年以上前にR.A.マーカス博士という米国の科学者らが電極反応速度の上限の予測を含む反応速度理論を提唱した。その後この理論は数々の実験的な検証が行われて一定の評価を受けR.A.マーカス博士は1992年にノーベル化学賞を授与された。しかしR.A.マーカス博士はノーベル賞受賞記念講演の中で「電極反応速度の上限」については更に検証しなければならないと述べた。簡単に言えば理論と実験結果が一致しなかったのだ。
 この種の研究は極めて基礎科学的なものなので直ぐ金儲けの種になる代物ではないかも知れない。しかし私は「電極反応速度の上限」に関する研究の重要性は今でも軽視できないと思う。なぜなら50年以上未解決と言う事実こそが電極反応の持つ気難しい側面を如実に物語っていると思うからだ。(2008.5.14)
「電車の消毒は今?」
 アレルギーの人は特定の物質に過敏なのだから、この性質を利用すれば空気の汚れを測る人間センサーとして利用することができる。
 大分前のことである。西武池袋線の石神井公園駅から秩父線の三峰口駅まで電車に乗ったときのことである。我々はこの間に3回電車を乗り換えた。このときこの人間センサーは次のように反応した。
 西武池袋線の冷房が入った黄色い車両では鼻水が止まらなかった、飯能からの白地に赤線と緑線のボックスシート車両では鼻水がやや治まり、秩父線の旧式の車両では窓を開けて快適に過ごすことができた。つまりこの人間センサーによれば西武池袋線の黄色い車両内の空気に最も過敏に反応したことになる。私にもこの車両は「かび臭く」感じられたので人間センサーの反応は妥当に思えた。つまり日頃最も多くの通勤客を運ぶ西武池袋線の車両が最も空気が汚れているのである。
 電車の空調設備には、ほこりや花粉が堆積しかびが繁殖し、恐らくエアコンの使いはじめに車内に吹き出るのである。そういえば最近気になることがある。山手線の車両には、以前は車両の片隅に「消毒済み」の記録用紙が貼ってあった。その日付けから判断するとひと月に一回のペースで消毒が行われているようだった。ところがこの用紙が最近気がついてみるとないのだ。
まさかと思うが、経費節減のために車内環境の管理がおろそかにされることがあってはならないと思った。(2008.5.12)
発明のすすめ」
 特許を持っていると「お金が儲かる」と思われている。実際は、特許を持っているとお金が儲かるのではなく、儲かる特許なのでお金が儲かるのである。しかし特許を取るにはその前に発明がなくてはならない。ところが世の中「特許」「特許」と騒ぐくせに「発明」についてよく知らないのが現状ではないかと思われる。
 では「発明」とは何かというと、「発明とは製品の技術的な問題点を解決するための技術的なアイデアである」ということができる。それでも抽象的なので一つ例を挙げよう。以前話題となったドライフラワーに関する発明の場合である。
 ドライフラワーはその名の通り花を乾燥させて作る。乾燥にはかなり時間がかかり、時間がかかればかかるほど花の色があせ、きれいに仕上がらない。この問題に対してある女性は意外にも乾燥に電子レンジを使うことを思いついた。だがこのままでは発明にならない。ここからが何とも素晴らしい。この女性は試行錯誤によってドライフラワー製作に最適の電子レンジ条件を見出した。こうしてついに発明が完成した。
 つまり「発明」とは「技術的課題を解決するための技術的アイデア」を提供するものなのである。日本では年間30万間件以上の特許出願が行われるのだから発明がそんな難しいことであるはずがない。まず日常の技術的課題を見つけよう、そして老いも若きも大いに発明に挑戦しようではないか。
(2008.5.12)
道路が静かになった!」
 新青梅街道の
一部の道路のことだ。あるとき自転車で行くと、道路の表面が削り取られて道路が洗濯板のようにされていた。外見は見慣れたどこにでもある道路工事の一コマと変わらない。正直なところ「大して傷んでもいないのにエル字溝まで外して何だかひどく不要な工事をしている」ようにさえ思えた。
 ところが舗装が完成してふと気がついたことがある。交差点で信号待ちしていたときのことだ。何だか車の騒音がばかに静かなのだ。そう思って見てみると道路の表面がコールタールに濡れた球形の小砂利で「雷おこし」状態になっていた。
 最初「例の雨水浸透式の舗装」かと思った。しかしそれとも構造が違うようだ。そこで昨今話題の「静音舗装」に思い至った次第。事実の確認はしていないが、誰にも分かるこの「消音効果」は何とも素晴らしい。静か過ぎて車の接近に気付かないほどだから、その効果は誰にでも分かるものだろう。膨大なコストのことは取敢えず脇において、どこかで人知れず「人や環境に優しい技術」を開発している人がいることに思いを馳せ心強く思ったのである。(2008.5.8)
もどきの時代」
 がんもどき」という食品がある。何でも雁(がん)の肉に味を似せた食品と言うことらしい。どうも昨今この「もどき」が流行っているようである。昨年12月に清水寺の貫主が一年を一字で表すイベントで「偽」を取り上げていたが、本物でない点で「もどき(擬)」も類語と言えなくもない。ただ「偽」は故意や悪意を感じるが、「もどき」は本物でないことを了解していることが前提である。
 「がんもどき」は雁(がん)の肉にありつけない者が愛嬌で考案した食品であろう。同様の物に「うなぎもどき」が江戸時代にはあったらしい。そう思ってスーパーを見回すと大量生産品は殆どが「もどき」であることに気付く。街の豆腐屋が朝暗いうちに作る豆腐が本物の豆腐とすれば、パックに充填された豆腐の殆どは成分といい製法といいまさしく「もどき」の資格を備えている。豆腐に似て豆腐とは異なる物なのである。
 だから本当はこのような食品は「豆腐」の表示を禁止し「豆腐もどき」とすべきなのだろう。でも現代人は大量生産品の豆腐も「豆腐」の仲間に入れてはばからない。「安いし味もそこそこ」であるため妥協しているのである。しかし安全に見えて実際は「安全でない食品」、「安全でないマンション」の場合は単に安いという理由だけで妥協するわけには行かない。
 新聞では「擬装」と「偽装」の両方が用いてあった。専門家が設計したのに構造上安全でないマンションは恐らく故意の産物なのであるから「偽装」を用いるべきなのだろう。清水寺のイベントで「偽」を選んだ応募者の気持ちもそこにあったに違いないのである。(2008.5.8)


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Created: 2008.05.08 トップに戻る
Updated: 2008.05.08